おはようございます。日本夢之助です。
靴下を買いに久々にユニクロに行った。
“コロナ”により宣言が出され、店がどんどん閉まって行ってる頃に思っていた事は
「せめて、ユニクロは空けていた方がいいのでは?」だ。
ずっと部屋着で過ごすわけにはいかないだろう、と、
自粛だからこそ、新しい下着などが余計に必要になってくるだろう、と
あの、ユニクロの、安い下着自粛中こそ大変助かるのに、と
そう思ってたくせして
汚い下着で他人(ひと)以上に我慢して着てきて
結局のところ、全然行かなかった。
その前からも実のところ行ってなかった。
そして、
今日、久々に行ったら
レジがセルフになっていた。
これは、コロナによる影響によるものなのだろうか?
それとも、元々か?
別に、セルフに躊躇っているのではない。
スーパーの買い物などでは
仮に有人とセルフが両方あればセルフの方を選ぶほど、慣れている。
慣れ親しんでいる。
と、玄人としての自負があった。
「わたしを誰だと思っている」と。
しかし、すべて打ち砕かれました。
タブレット型のレジから目線を落とすと、風呂の浴槽のような真っ白いシンクがあって
その容器自体がバーコード読み取り機なのだ。という事で、正解は、
購入する商品を一気に放り込めさえすれば、一瞬にして読み取ってくれる。
どんなに雑に入れても、どう重なっていようが、読み取ってくれるであろう。
っていうか、今から思えば、「購入する商品を入れてください」と書いてあったのに。
赤い光なんてどこにも走ってなかった。
読み取る毎に一々迎えてくれる「ピッ」という音もなかった。
実にスマート。
それなのに、
赤い光など出ていない、タブレットと台の狭っっっい隙間に
バーコードに読み取ってもらおうと商品を通していた。
何度も。何度も。
結局、赤い光は走らず
見兼ねたスタッフが走ってきた。
すべてが終わった後に残ったのは『感動』の感覚だ。
あの、白いシンクっぽいカゴに入れただけで
一瞬ですべての商品が読み上げられたことだ。
正真正銘の「一瞬」という時空(とき)を具体的に感じた。
その永さは他に憶えがある。
恋に落ちる時の “間隔” に似ていた。
だから
あれは、まことに一瞬であったに違いない。
と同時に、この短縮分こそがまさに「進化」の歩幅なのだ。