コロナ初期のテーマソング 〜松任谷由実『Laundry-Gateの想い出』〜

おはようございます。日本夢之助です。

今日は

最近ずっと聴いている曲を紹介したいと思います。

その前に、、、

コロナ騒動が段々本格化し始めて2月下旬以降、割と部屋に居る事が多くなったんですが

4月の新学期以降のちょっと前に

とある新社会人にテレビを譲りまして、以来・家にテレビはない状態なのです。(断捨離!)

元々、TVを点けなくなって1年以上経ったのでそない変わらないのですが。
※唯一、競馬中継が生で見れなくなったくらい。

世の中もこういう雰囲気ですし、

そしたら、そんな世相の酷さをさらに煽るしかないTVを見たって

気が落ちるだけで利益など1ミリもないのでございまして。そういう時の処方箋は、やはり音楽ですね。

自分が気持ちが良くなる音楽を聴いてた方がどれほど有益か。

●「Laundry-Gateの想い出」松任谷由実(1987年)

で、ですね

この曲の発見は、今年の2月くらいYoutubeでたまたま自動再生された音楽で、

ずっと後世に、今この時が「コロナ時代」とかそんな風に呼ばれるとしたら

まさに、「コロナ時代の初期テーマソング」になるってくらい

ずっとリピートして聴いているのです。

https://www.youtube.com/watch?v=m9RcrFSIrX0
この映像ラジオさんが作る映像は歌詞にあった画像を貼ってくれるので解りやすですね。

私にとっては
不覚にも今まで聴いてなかったアルバム「紅雀」の収録曲でして、

松任谷由実「紅雀」(1978)

ユーミンマニアとしては大変お恥ずかしい話ですが、今年初めて耳にしたのです。(反省;)

●地元の武蔵野の風景

松任谷由実さんの故郷は

八王子

でして、

近くにあった「在日米軍の立川飛行場」での一風景(思い出)を描いた作品です。

ユーミンの楽曲は多過ぎて

歌詞の中の内容のどれが実話で、どれが創作なのかわかり兼ねるのですが、

この曲は部分的にはリアルな経験があったのでは?と思われます。

「LaundryーGate(ランドリーゲート)」というのも1998年まで実際にあった地名(バス停名)であり

ユーミンファンの間では聖地の一つになってたみたいですね。

今は「富士見通り」という名前になっているとのこと。

●歌詞

いつも通りメロディ先行で気に入りまして、

それで、歌詞もしっかり追って聴いてったら、さらにハマってしまいました。

歌詞の内容はですね、

前述したように、地元にあった立川飛行場に当時、相当入り浸っていたらしいんですが

そこで一緒に遊んだ同じ年頃の女の子、米軍人の娘か)との楽しい記憶と、

やがて

1977年、敷地の全面返還(一部機能が横田基地に移転)で

その女の子が故郷(アメリカ)に帰ってしまうというので

見送る約束をしていたのに、寝過ごしてしまって、あーあ、って話です。

この曲は、

1番と、BサビとAメロ、Bサビだけでスペース的に短かいはずなのに

物語上、時間の流れがしっかり表現されているところは

ユーミンの素晴らしい「端的」な表現による綾だと思います。

まず、

ふた駅揺られても まだ続いている

という歌い出しの端的な表現ですね。

この2小節で私はこの曲に惚れましたね。

文学は1行目からで決まる、

というのは

わたくしの言葉ですが、これにも見事当てはまります。

あと、

1番サビの後のCメロ?の

ジミヘンのレコード

が、なんとも秀逸です。

相手の女の子が(そこの)外人なんだろうなと想像させてくれるアイコンとして配置してあるんですが

逆に言えば

外人とか、米軍人の娘とか、基地の子、といった野暮な言葉じゃなくて

「ジミヘンのレコード」っていうアイテム一つで一発で伝える端的表現!

ああ、なんと素晴らしい。。

●男の扱い ピッツァの作り方

サビの歌詞で、楽しい思い出の象徴として、盛り上がった話題が出てくるのですが、それも

「男の扱い ピッツァの作り方」

と、この二つを同列に並べているところがとても面白いですね。

所詮、そんなものなんでしょう。男なんて、

と、こういうところは、男性も学ぶべきところは多いはずです。

何かあったって、ムキにならず

ピザを作らせてあげてる

と、ちょっと上から目線にはなりますが、引いた目で冷静でいられたら

優しくできたり

周りが見えなくなって、訳のわからないストーカーみたいな事にならなくて済むと思います笑

それにしても、

必死な姿は、パフォーマンスとして必要かと思いますが 笑

●メロディー、前奏と間奏

かなり重低音で始まる割には

本編に入ると、かなりポカポカする曲調になるので、そのギャップに萌え〜ですね。

でも、

歌詞の内容から

あの重低音は、LundryーGateにはつきものである飛行機のプロペラ音なのではと想像してしまいます。

あと、

間奏のピアノ?ですかね鍵盤楽器でのソロがすごく良くて

「何、この曲?」と惹きつけられた部分です。

と、今回は以上になりますが

ユーミンの曲はあと400曲近くあるので、折を見て、また紹介していきたいと思います。

また、

みなさんが普段聴いてるベストオブベストな音楽をコメントなどに寄せていただけたらありがたいです。

ではでは。

ギャンブルにするべきではない?(& 明日天皇賞の買い目)

おはようございます。日本夢之助です。

線でわかれば競馬は楽しいvol.5

馬券を当てるだけなら「点」の理解で十分ですが、「線」でわかれば競馬はもっと楽しい。読めばわかる競馬入門講座。

コロナ情勢下でもパチンコ店に行列を作って並ぶ人たち

行政による店名公表などで問題にもなりましたが

パチンコ屋に並んでいる人たちの立場になって考えてみると(←肩を持つわけではない!)

パチンコに行くことが、【不要不急ではない】のです。

彼らにとっては「要」るし「急」であるので、

スーパーに食料品を買いに行くのと同じでなのではないか、と思ったりします。

彼らも、家に閉じこもっていても別にお金に困らなければリスクを冒してまで行かないでしょうが

こういうタイミングでも行く人っていうのは

パチンコで稼がなければならないほど、単純にお金がなくて困っているのである。

(我々の「密」を批判するなら、スーパーの「密」はどうなんだ!?)って思っているに違いない。

単純に、彼らはお金を稼ぎにいっているのである。

仕事である。

だから、彼らの「密」を批判するのであれば、休業しない会社もそうだし、スーパーも駄目って事になりそうだ。

ちなみに、私はパチンコは一切しない。

かと言ってギャンブルをしないのでなく、

競馬はする方だ。

このブログを読んでいただけたらお判りかと思いますが。

では、

ギャンブルをする自分を正当化する時に心強く助けになってくれる、

偉人の名言を紹介しましょう。

“ギャンブラーは日曜日でも仕事がしたいのです。休みの日だというのに競輪・競馬・競艇そしてパチンコ、いつもどこかのギャンブル場で稼ごうとしている。家で横になって休んでいればいいのに、彼らは休みの日にもかかわらず仕事をしているわけです。” 蛭子能収「僕はこうして生きてきた―NO GAMBLE,NO LIFE. 」コスモの本出版)

ここは一つ、見方を変えて見てみませんか

ギャンブルじゃなくて

お金を稼いでいるのです。

●競馬とパチンコは違うのか?

ギャンブルについて語られる時に、よく出てくるのが

「還元率」

という言葉です。

他の公営ギャンブル(競輪、競艇など)や

宝くじ

または、カジノの各ゲーム(ポーカーやブラックジャック、バカラなど)にも

還元率というものがありまして

種類によって違うのですが

それはイコール、各々の管轄する省庁が違いまして

それに従って還元率が違ってくるのです。

まず、我らが「競馬」の還元率を見ていきましょう。

競馬 ▶︎ 70〜80%(農林水産省)

これは

賭けた金額の70〜80%が客に返ってきて、20〜30%は胴元のJRA(=国)に行くということです。

競馬ファンが計1億円分賭けたら、2000〜3000万円はJRAの取り分となります。

他のギャンブルを見ていきましょう。

パチンコ ▶︎ 80〜95%(警察庁)

競艇、競輪 ▶︎ 75%(競艇は国土交通省、競輪は経済産業省)

オートレース ▶︎ 75%(経済産業省)

宝くじ ▶︎ 46%(総務省)

と言った感じです。

これは平均値なので、

例えば、競馬が好きで好きでたまらない人・A君は馬券をどんだけ買っても当たらなくて損してばっかりで、

かたや

予想が上手くてめちゃくちゃ儲けている人・B君もいたとして、

でも結局、A君とB君とふたりにはしっかり掛け金の70〜80パーセントは還元されいるのです。

ギャンブルをする事の良し悪しが議題に上がった時に

悪(損)を主張する人は往々にして、この「還元率」を根拠にするんですが、

※「賭けた時点で国に20〜30パーセントを持っていかれているから、これだけ当てなければならない!」みたいな主張。

そういうのは、間違っているというか、的を得てないと感じるんですね。

競馬ファン全体で考えたら、そうかもしれませんが

一個人レベルで考えましたら

他人より質の良い予想をして儲けたらよいだけのハナシ。

馬券(に限らず、舟券も含めて)を買うときの相手は

20〜30パーセントを持っていってしまう国ではなくて

自分以外の周りの人間で、

イス(パイ)の奪い合いなのである。

ただ、

競馬とパチンコは別物と分けてまして。

競馬は自分の予想(勉強)次第で、仮に当たらなくても正解に限りなく近いところまで辿りつける、というのが魅力的なんです。

優しい私は、競馬ファンにこんな言葉を投げかけてあげたいです。

「予想段階では、競馬ファンはみんな100点満点を取っているんだよ」って。

(嗚呼 僕はなんて優しい男なのだ!惚れてしまいそうだぜ!!)

でも、、

100点満点を取っているのに

なんだか知らない最後の小さなで、各々が天国へ地獄へと、なぜか旅立っていく、、、

そう

競馬ファンっていうのは

そういう、寂しさを背負った旅人なのです。(ステキだろ?)

反面、

宝くじが自分にとって魅力がないのは

そういう、勉強・研究のしがい が無いところです。

だから

私は、馬券は買うのですが、宝くじは絶対に買いませんし、

一番伝えたいのは、、、

別に馬券を買わなくても競馬は楽しい、ってことです。

 ◇◆◇◆天皇賞(春)の買い目◇◆◇◆ 

本命 フィエールマン

★フィエールマンの複勝1点 で良いんじゃないでしょうか笑

他に買うなら⬇︎

3連複フォーメーション

2頭目 ダンビュライト、エタリオウ

3頭目 ダンビュライト、エタリオウ、モズベッロ、キセキ、ステッフェリオ、ミッキースワロー

計9点

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

何にしても

ウマのことなのでわかりませんが;

●コロナとパチンコの邂逅

人間がパチンコ台に向かっているだけで、遠隔によって国が安定した「還元率」を提供出来るのであれば

スマホ上のオンラインパチンコでもいいんじゃないかと思います。

スマホに向かうだけで、もしかしたらお金を稼げるかもしれないのだから

同じ機械なら

一緒じゃないかと思います。

でも

「開店前に朝から並ぶ、あの時間がいいんだよ〜」

「台を探し回るのがいいんだよ。俺たちは足で稼いでるんだよ」

「周りの、あの騒音が現場のリアルなんだよ〜」

という風に

パチンコもやはり「生」がいいんだろうか?

パチンコしない人の戯言ですが。

以上

クイズ:サラブレッドにとって3200mは長い?短い?

おはようございます。日本夢之助です。

今日は、線でわかれば競馬は楽しいvol.4です。

突然ですが、クイズです

競馬には様々な距離のレースがあります。

その中で

3200m」という距離は

短距離でしょうか? 

中距離でしょうか? 

長距離でしょうか?

答えは…

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A. 長距離

です。

この日曜日に京都競馬場であります大レース「天皇賞(春)」は3200mありまして

24レースあるG1レースの中で一番距離が長いレースです。

ちなみに

最も短い距離のレースは1000mです。

現在行われているレースを短い順に並べてみました。

1000m

1200m

1400m

1600m

⏫短距離~~~~~~~~~~

⏬中距離~~~~~~~~~~

1800m

2000m

2200m

2400m

2500m

⏬長距離~~~~~~~~~~

3000m

3200m

3600m

かなりざっくりした分けてみましたが、こんな感じです。

で、

大きなレースは

1200m、1600m、2000m、2400mが多いので

分類表の中でも上寄りの短距離〜中距離というのが

比較的多く

珍しい3200mという距離は、走る馬の方が比較的少ないと言えます。

人間と同じく距離適正がありまして

例えばオリンピックでも

100m競技の選手の顔ぶれと、マラソンのそれは違いますよね。

馬にも、短距離が得意な馬と、長距離が得意な馬がいる訳ですが、

時々

1600m(競馬ではマイルレースと言います)を走っている馬と

3000mのレースも勝つけど中距離も強い馬が

中間の2000mのレースで勝負する時があるので

そういうのは、競馬ならではの楽しみです。

ちなみに、

サラブレッドは

3200mという距離を

大体、3分14〜17秒くらいで駆け抜けるんですね。

200mを12秒、1000mを60秒くらいで

(これもざっくりした目安なのですが)

1000m60秒ということは

時速60km

いわゆる

車と同じくらいの速度で走る訳です。

日曜日、

おうちで過ごす方が殆どかと思いますので(STAY HOME)

是非「天皇賞(春)」を見て楽しみましょう♪

見どころを一つ上げますと、

昨年の優勝馬の「フィエールマン」が連覇するかどうか!?です。

一口メモ:天皇賞は年に2回(春・秋)。 秋は2000mです。

⬇︎ 去年の天皇賞(春)。勝ったフィエールマンが明後日、連覇をかけて出走します。

司馬遼太郎は小説家ではない

おはようございます。日本夢之助です。

みなさんは普段、本を読みますか?

僕は、といいますと

比較的、読む方だとは思うんですが

最近まで読むより買うペースの方が速く積読に拍車がかかり

外出自粛の2回分?ほど有り余っています。

これを機に、ブログで紹介していきながら消化していこうと思っています。

●もうすぐ読破できそうな作家

では、

一作家の全作品を読破したことはありますでしょうか?

こんなこと訊いておきながら

僕もないのですが、

(このままいくと、この人のは読破できそうだな)という作家がいまして

それは

司馬遼太郎遠藤周作です。

今日は特に、司馬遼太郎について書いていこうと思うのですが、

司馬さんの本を買うと目録が挟んでありまして、

司馬さんの全作品タイトルを出版社別で横断的に網羅したものなのですが、

ここはひとつ

あとどれくらい読めば読破出来るか、

今まで読んできた本を蛍光ペンでマークしてみました。

まだまだ全然でした!(恥)

びっくりしました。

すみません

●司馬遼太郎は小説家か

司馬遼太郎といえば、

龍馬がゆく』や『坂の上の雲』、『燃えよ剣』など数々の歴史小説から

やはり

小説家

というイメージが強いかと思いますが

上掲した様に今まで読んできた上での僕の雑感は、

「司馬遼太郎は小説家ではない」ということです

小説家として認めない、とかそういうネガティブな事ではなくて、

「作家としての真髄は、エッセイにある」

と感じるんですね。

特に

今現在、僕が読み進めている朝日文庫の街道をゆく

1ページ1ページめくる度に

司馬さんのエッセンスを堪能できます。

それは

どこから感じるのかというと、文体です。

司馬さんの文章を読んでいると

司馬さんの存在を感じるんですね、

傍で語ってくれているような、息づかいを。

僕が司馬さんの作品をはじめて手にした時には

亡くなって既に久しく、

司馬さんが実際にどんな口調だったのかは存じ上げないのですが

きっとこういう話し方なんだろうな、

と思わず、目の前に司馬さんの影を想像してしまう、

そんな文体なのです。

何なら

作品の本編より

あとがきのエッセイが優れていると感じてしまうほど(笑)

耳あたりが

すこぶる心地良い。

竜馬がゆく』などの歴史小説でさえ、

途中、登場人物の会話があるという事で仮に小説と銘打つとしても、

読んでて

「(歴史)小説!」って感じを受けなかった印象を覚えています。

司馬さんの作品を、

これは小説、これはエッセイ

と四角四面に分類すること自体がそもそもが不要な行為かもしれず、

何より不粋ですよね。

それでも

そういう無駄を許すのであれば

司馬さんのそれは、僕の中では

「限りなくエッセイに近い歴史小説」という落とし所になり

すべてがエッセイ。

やはり、エッセイ。

それも頭には

極上の、という形容詞は、是非とも付けたいのであります。

●オススメ作品

・『坂の上の雲

明治初年に愛媛・松山に生まれた秋山兄弟と正岡子規の3人を中心に日露戦争までの明治日本を描きます。

これは10年ほど前のハワイ旅行中にずっと読んでた作品なんですが

アメリカやヨーロッパに行く際、または行ったことがある人にオススメです。

今から行く国や地域、その欧米的な要素やまたは離れていく日本がどういう国なのか、

日本人ってどういう民族なのか、を

深く考えるきっかけを与えてくれます。(そんなのは楽しい海外旅行には不要ですが^^;)

ハワイに行った際には、真珠湾に行けば実際の戦艦に乗りまして。

時代が違うので、戦艦の大きさに差がありますが、

実感をもちながら作品を読み進めることができる点で、欧米旅行のお供にいかがでしょうか。

好きな場面は

長い物語の最冒頭、秋山好古(兄)が上京する道中の風景です。

明治初年の(中央政府じゃなく)そこらへんの巷の情景というのは

それが司馬さんが想像したものとはいえ

まだまだ江戸時代から抜けきらないが、御一新があって数年後っていう市井の一風景で、

当時の資料が少ないだけに、描く作家もなかなかおらず

逆に、想像を以って楽しめる点がいいです。

・『項羽と劉邦

これは中国の漢帝国を作る皇帝(劉邦)とそのライバルの話で、リーダー論の話です。

僕は、去年の年末から年始にかけて読んでいました。

今、ヤングジャンプで連載中の『キングダム』という漫画が流行っています。(もちろん僕も読んでいますが)

その、秦帝国の創造譚である『キングダム』の次の時代の話になります。

秦が倒れて、漢になります。

なので、『キングダム』で出てくるあの人物、この人物(3〜4人だけですが)の行く末が、本筋ではありませんが、描かれているんです。

前巻のみ電子書籍で読みました。

どちらも中国大陸を統一する帝国で

それを成し遂げるリーダーというのはどういう人物なのか。

競い合う項羽と劉邦は、あらゆるリーダー像(むしろ政治家か?)の中の一典型に過ぎないとは思いますが、

(注:これも司馬さんが作品を作るための便宜的な演出でしょうが。)

その対比は印象的かつ魅力的に描かれて面白いです。

以上

国民の「善意につけいる」日本政府

おはようございます。日本夢之助です。

適当な言葉をやっとみつけました。

日本政府が自分んとこの国民にしている行為について

例えば

要請までにとどめて補償しない。

っていうのが

ある一定時期までの、一姿勢だったのですが、

どういう言葉が適当なのか

ずっと探してまして、やっと見つけました。

「善意につけ入っている」です。

要請だけに留めておいても国民は自然と自粛してくれる、と

足元を見ている・見られている訳です。

こういう時に

日本人は民度が高い、という自画自賛なことで納得しがちで

仮にそうだとして、

国民の民度が高くても

政府のモラルが低いので、

※政府構成員の各々一個人がみんな善人だとしても、政府機構という次元になるとモラルを失う傾向

政府になんか嫌なことされても

そういうところに決着して自分達で納得しているだけなんじゃないかな、と思います。

歴史好きなので

今現在やってる事と、何となくの通史を見比べたら

日本って言う国は

今でも、奴隷制(王政)の国だと最近思います。

仮にどんな国でも同じ道を辿るのであれば、

日本はまだフランス革命を経てないという事になります。

日本国って、よく考えたら国名に政治形態が載ってないですし。

共和制なのか、王政なのか。それらとも違う何かなのか。

ある程度の自由(経済的、金銭的)と引き換えにもらっているが

あくまで、国民=奴隷っていう意識が政府にはあるし、国民もそれに気づかない。

超自由な刑務所で生まれた子供のような感じです。

刑務所内では自由なのに、「今の間だけ房から出ないでくれ」と言っておきながら

食糧くれない状態です。

どうやらパンとマスクは呉れるみたいですけど。

追記

安倍にクソを付けて クソ安倍としても それは跳ね返ってきて イコールクソ国民。

まずは選挙です。