可愛い顔して

おはようございます。日本夢之助です。

マスクでもオシャレをする、というステージになって既に久しい。

黒やら、かなりファッショナブルなモノまで

もはや違和感は感じない。

、、、のだが、自分用としては手が伸びない。

マスクはシンプルに白!と理由なしに決め込んでいる。

人がしている分には何も思わないし、

「あんなデザインのまであるんだ」と目の保養になったりもするのだが、

わたしはこの先、黒やカラフルなマスクはしないであろう。

今日家を出た時にマスクを忘れたので

コンビニで買って間に合わせようと、適当に物色したら

『洗える冷感マスク』

というのがあって、

一枚入りのものだが

冷感!に心惹かれてたので

会計に進んだら

600円以上して

「高っ!」

と思ったが、冷感だからまぁいいか、と

店を出て開けたら。

黒のマスクだった。

「黒」感ゼロの包装なのに

黒マスクが入っていた。

可愛い顔して…、

この包装は

真っ白のマスクかちょっとブルーがかった白だろ!

ちゃんと見たら下方に丸抜きがあった。

試しに、もう一回袋に入れて見たが、

わからんって。

真ん中の絵のマスクも黒にしとかなきゃ。

白か黒かはかなり大きな問題である。

今回の場合「冷感」より重要じゃないでしょうか。

文字でしっかり

黒いです。

と書いてくれないと!

でも、

黒という事で

心に残ってた割高感は

「(普段着けない)黒だからまぁいっか」と、少し和らいだ。

黒という事が、リッチなのでしょうか。

《今日の味噌汁》

〜玉ねぎと小松菜とほうれん草と豚肉(イベリコ豚)〜

すごい脂でした。

なぜ、感染するのか?

おはようございます。日本夢之助です。

連日、コロナウイルスの感染者数が報じられている。

今日などは、初めて全国で1000人以上の感染が確認されたち報じられた。

論点として

なぜ、数字が増えるのか?

があり、数ある説の中でも例えば

PCR検査の実施(検体)数が増えたから

という答えが云われている。

しかし、論点はそこではないのではないか?

コロナ騒ぎが燃え出した頃に戻る様だが、

改めて、

なぜ、感染するのか?

ということを問うていかなければならないのでは?と思うのです。

生憎、電車に乗ってしまう(乗らなければならない)機会があるのですが、

例えば、

隣り合う2人が向かい合う4人用シートでも

ぎゅうぎゅうに座っているし、

空いてたので座ってたら、何としてでも体を滑り込ませてくる。

嫌味ったらしく立って離れるのと

我慢してそのまま並んで(または向かい合って)座るのとどっちが正しいのでしょうか?

私の中では、電車内では「立ち」がスタンダードです。

座るなんて時代遅れです。

蜜をガンガン仕掛けて来る割にはマスクをしている。

だから、今、世の中の日本人は

マスクをしてりゃ感染しないと思っているのか、

感染してもいいと思っているのか判りませんが、

とりあえず

マスクはしてるが

それ以外は、コロナ以前の距離感に戻っている。

そういう人々が感染して毎日の数字になっているのか?どうか知らないが

増えるのも納得の行動は、実は余裕でしているのである。

外出するにしても

感染しないように、マスクして。密を避けるというのは

簡単に出来そうなことだし、実際にそうなんですけどね。

以上。

《今日の味噌汁》

〜玉ねぎと鶏肉とほうれん草と水菜〜

子どもを見守るように 〜料理を毎日して痛感した事〜

おはようございます。日本夢之助です。

毎日の味噌汁をはじめ、色々作っている中で実感したのは、

料理の最中に目は離すべきじゃない

ということです。

特に、

野菜を多く使った料理など、

煮込み過ぎると全然だめになってしまう、っていうのが

如実に色に表れる。

なるべく生に近い方の色が美味いし、

ほんの少しでも煮込み過ぎたり、焼き過ぎると、生の時とはあまりにかけ離れた色になってしまっている。

それぞれの加減のベストピークを色のバロメータ(1〜10)で(一概に)示すとすれば

「3〜4」くらいではないかと思います。

ものによれば「」でもいいでしょう。

が、

目を離すのもちょっとだけ、と自分に堅く断っても、

忘れてしまっていて、煮込みすぎたりするもんだ。

そんな時は、既にやる気もなくなる。

まだ幼い子どもにそうするように

料理も、目を離してはいけないのである。

子ども育てたことないけど。

料理では過保護になってやっと旨くなるのだと思います。

以上。

《今日の味噌汁》

〜玉ねぎと小松菜とほうれん草と水菜〜

3頭だけの世界最高峰のレース

おはようございます。日本夢之助です。

先7月25日、イギリスにて

「キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークス」

という世界最高峰の一つに数えられるビッグレースが執り行われました。

競馬ファンには「キングジョージ」と言えばすぐこのレースと判るほど

日本の競馬ファンにも馴染みが深いレースです。

馴染みが深くても、日本馬の勝利はいまだ達成されていません。

注目点は、

牝馬(♀)にして世界最強馬・エネイブルの勝敗ですが、

蓋を開けてみれば何と3頭立てのレースとなっていました。

にほん(JRA)だと不成立です。

エネイブルの強い走りと

3頭立ての珍しいレース風景をご覧ください。

キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークス

https://youtu.be/cNGi9imWwAU

 

道中(途中)など、

ディアドラが出走していたら、もしかしたら…!?

と思いましたが、

最後の直線のエネイブルの力強い走りを目の当たりにすると、

う〜ん….

とそれは考えすぎかなと思わざるを得ません。

当初は、4頭立てで予定されていましたが、

映像見たら3頭になっていました。

これ

もう1頭抜けて、2頭立てだったら成立したのでしょうか?

以上

塩はテコ 〜味見してみて薄いなと思った時は…〜

おはようございます。日本夢之助です。

料理をしてて感じた事を今日は述べたいと思います。

結論

それは

世の中の味付けは、「」ですべて調節出来るという事です。

なので、

料理で、味見してみて「味薄いな」と感じたら、

加えるのは

だけでいい。しょうゆとか他諸々を適当に加えて「よしっ」て思っても、それは、本来作ろうと思っていた味自体が変わってしまっているはず!

「よしっ」じゃねーよ(笑)ってハナシ。

発端

先日、

パスタを作っている時に

ニンニクを薄くスライスして使ったのですが

量は、2片(個?)と、結構効かせたはずなのに

全然味がしなかったんですね。

そのパスタでは、他にレモンとかパセリ、最後は粉チーズもかけるので

それ相応の香りは出ていたが、薄味で、おいしくはなかった。

あと、

スパイスカレーなども

調味料と言えるものは、「」しか使いません。

塩でスパイスの風味を調節できます。

これは逆に、塩だけで十分美味しいカレーが作れる、とポジティブに考えることができます。

あと、

毎日作る味噌汁では、塩自体は使わず、

塩分は味噌が含む分のみを便りをしています。

昨日、トマトソースパスタを作ったのですが、

以前、パスタ麺を茹でる時に入れた塩のみを頼りにして、他に塩を入れなかったら

これも、味が薄すぎて失敗しまして、

今回、塩をちゃんと加えたら、とびきり美味しく出来ました。

数学で例えたら…

こういうことから、

ダシと塩を

例えるならば、

ダシ

ベクトル(方向性)で、

−5⬅︎ −4⬅︎ −3⬅︎ −2⬅︎ −1⬅︎ ダシ(風味・味)➡︎ 1 ➡︎ 2 ➡︎ 3 ➡︎ 4 ➡︎ 5…

そのベクトルを

どれだけ伸ばすかのテコ(入れ)として

は存在感を発揮するものと思われます。

−5⬅︎ −4⬅︎ −3⬅︎ −2⬅︎ −1⬅︎ ダシ(風味・味)➡︎ 1 ➡︎ 2 ➡︎ 3 ➡︎ 4 ➡︎ 5…

 

まさに

調味料

ですね。

スイカに塩

他に、フルーツに塩をかけて食べる人とかいますよね?

実際に、スイカに塩を振ってから食べてみると確かに甘く感じるのです。

でも、なぜ塩を吹きかけるか?という質問に

世の人が答えているのは、往々にして

「甘さが引き立つから」

という、至極フワっとした理由(言い訳)を耳にしますが、科学的ではないですよね。

かといって、上で述べたことが科学的であるか?と問われたら

全然科学的ではないのですが、

そのベクトルとテコの理論で以ってすれば、まだマシな言い訳になりそうです。

あれも、

フルーツ自体の風味(味)の方向性があるわけで、

それに塩をかければ、数値は確かにマイナスに振れるかも知れないが、

風味の絶対値は増大するのだ。

…−6⬅︎−5⬅︎−4⬅︎−3⬅︎−2⬅︎−1⬅︎フルーツ➡︎1➡︎2➡︎3➡︎4➡︎5➡︎6….

なので、

スイカに塩をかけて感じるのは

「甘さ」じゃなくて

スイカ自体の風味の絶対値なのではないだろうか。

(塩っ)辛さと甘さというのは、

実は、相対峙する味覚ではないのでは?と思います。

それとも、ただの言語表現がまだ発達してないだけかも知れません。

焼肉でも蕎麦で塩

焼肉でも蕎麦でも塩をつけて食べると

素材そのものの旨味を感じれるのですが、

素材(肉・蕎麦)の風味・味をベクトルとすれば

塩で食べる意義はありそうです。

以上。

《今日の味噌汁》

〜玉ねぎと小松菜と水菜〜