敗戦日と終戦日

おはようございます。日本夢之助です。

毎年訪れるこの日が今年も訪れました。

皆さんにとって8月15日というのは

終戦日でしょうか?

敗戦日でしょうか?

各メディア、例えば全国紙の社説は軒並み「終戦日」で

朝日と毎日が「敗戦」という言葉を使いたがる印象を受けます。

わたしの、終戦/敗戦の語感と各紙のイメージは、先ほどの集計とは逆なんですが。

また、個人レベルでも、己の政治信条によって呼び方は変わるのではないでしょうか。

終戦日は、

戦時下において戦争に反対している人々が「やっと終わった」と戦いの終わりにホッとし、悦ぶ情景が思い浮かびます。

敗戦日は、

勝とうと夢見た人々の脱力感を感じます。

あくまでも、わたしの個人的には、

敗戦日、がふさわしいかと思います。

やはり

「何かわからないが、そういう事になってしまった」戦争ではなくて、

明らかに、

「そうなる様に選択をした」戦争に違いなく、

敗戦という結果に帰結させない(負ける戦いをしない)為に、

家康の脱糞図として

8月15日は「敗」戦日、という言葉にした方がいいと思うのです。

それにしても、

毎年、靖国神社参拝についての取り扱いがままならない。

それは、韓国の取り扱い(外交)の、永遠のままならなさと同じである。

わたしは、

政治家の靖国神社参拝は「やめとけ」という立場である。

それが

1965年の日韓請求権協定での賠償を、感情的ないし政治的に裏付けるものだと思うし

つまりは、徴用工の問題と繋がってくると思います。

徴用工請求問題は、もはや韓国の内政の話であるが、

それは

日本側の、靖国神社参拝の遠慮というところからの歩み寄りも必要かと思います。

技術論として。

以上。

《今日の味噌汁》

〜玉ねぎとほうれん草と鶏モモ肉〜

自然エネルギーへの転換を本気で考えたくなる時

おはようございます。日本夢之助です。

最悪だ。

おなじ国民として、責任者(国際法条、船の所有者らしい)の真摯な対応をお願いいたします。

こういった映像を見ると、

化石燃料エネルギーから

自然エネルギーへの転換を本気で考えなければならない、と感じます。

《今日の味噌汁》

〜玉ねぎとほうれん草と鶏肉〜

ここ3、4日は同じ材料ですが、全く同じ味噌汁をしっかり作っております。

使いたくない日本語②「エモい」

おはようございます。日本夢之助です。

特に若者にとっては使い古された、古い言葉だと思いますが

「エモい」

という日本語は

決して使いたくない訳なんですね。

エモーショナル、emotional

つまり「感動的」という意味の英語の形容詞の後ろに

「〜い」をつけて、日本語化している訳ですが、

感動って何種類もある訳じゃないですか。

例えば、シンプルに喜怒哀楽の4原色から、

その間の細かなグラデーションの数だけ感動の深さがあって、

その外にある別の感動もあります。

そして、それを言葉で表すには余りあるほど

日本語の語彙数って豊富なはずなんですね。

でも

それを《諦めている》経緯が如実に表出している言葉だと思います。

そして、

「エモい」っていう響きがキモい。

気持ち悪いですね。

少なくとも、わたしは、「エモい」の響き、語感などから

秀逸な現代語ではない、と思っています。

だから、「エモい」という言葉は否定したいが、

そういう言葉が存在する今の社会は、

肯定するというか、そこにある状況・事実なので

見つめすべき材料としては面白いですよね。

以上。

日本国憲法について気になるところ

おはようございます。日本夢之助です。

もう随分と前の事ですが、

一丁前に万年筆など買いまして。

しかし、

書くものが無いって、机に向かってから気づくんですね。

仕方がないから

日本国憲法を写書したんです。

なぜ、日本国憲法かと申しますと、

法学部出身のくせに全条を読んだことがない。

それに

学生時分のわたしは、憲法を面白く思わなかったので

講義はおざなりに、というか、取らなかった。

が、

卒業して何年か経ちますと、後悔するかの様に

いかがなものか?となどと感じ始めたMy Revolution。

かと言って

思い立って読み始めても、九条に辿り着く前に飽きてしまうもんだから

全条を読み通すなど

人類史上誰か一人でも成しえたのか?と偉業の如く

死ぬまでにできるかどうか、と諦めていたのですが

字の練習にちょうどいいや、とやってみたんですね。

全条を書いたは良いのですけれど、まだ字が綺麗に書けないので

そのまま、大日本帝国憲法も突入した。

それでも字は一向に綺麗にならないので、

鉄道唱歌の東海道編も書写した。

次は、般若心経。阿弥陀経。法華経。Loveマシーンの歌詞。

まだ、下手な字を書いている、、

と、まぁこの話は終えるとして、

日本国憲法を書写して感じたのは、

この憲法の本当の原文は日本語なのか?英語なのか?という事である。

現行の憲法が「押し付け憲法」と改憲派の武器として語られることがある。

それは、GHQ占領下という政治状況の中での制定過程で論じられる意見である。

が、わたしが読んでいるのは

日本語としての違和感である。

普通に読んでいて

日本語としておかしい。

憲法の各条文の主語は

発効している各法的効力自体が主語になる訳だが、

そういう状態を言葉として作り上げるのは

どこか、英語の方が作りやすくて

これを日本語的発想で作った文章ではない様な気がするのです。

でも、最初に英語で書かれて、それが日本語訳された、というのは

当時の政治状況では当然考えられるし、文章的にも、どこか

そっちの方がしっくりくる様な気がするするので

健保論議で第9条がどうとか問題になるのであるが、

わたしが憲法について興味があるのは

最初に日本語と英語とどちらの言語で書かれたのか?ということなのです。

もう一回、写書してみようと思います。

なんせ、暇なので。

以上。

《今日の味噌汁》

〜玉ねぎとほうれん草と鶏肉〜