テンプレート

おはようございます。日本夢之助です。

仕事があるから外には出るんですが

街角とかで

「いつまで続くんだろうねぇ」という

近所の人同士の挨拶コトバのような会話を耳にする時があります。

夏の時期の

「暑いねぇ」みたく。

コロナ事態はどういう風に終わっていくんでしょうね。

東日本大震災の時もそうでしたが

ああいう災害の訪れって

「はい、今からです!」

っていう風に

いきなり始まる(襲ってくる)んですけれど、

「はい、ここで終わりです」

という映画撮影ん時の

「カット!」

が無い訳です。

あまりにも豊富な色表現によるグラデーションで

残酷以上に

いやらしく

しれ〜っと通常運転に戻っていくじゃないですか。

(※そして、東日本大震災の復興はまだ終わっていないのですが。)

間違ってても良いから

このコロナ事態の収束の仕方を

国民一人一人が

想像(想定)するべきですよね。

いつかは、コロナウイルスに対して開き直らないといけません。

でも、街角で「(コロナ問題)いつまで続くんだろうねぇ」と言ったあの時のおばちゃんは

もしかしたら、侮れない。

実は、本当にそう思って口にしているんじゃなく、

ちゃんと

事態の収束形をしっかり想定はしているけど

その日の朝一番に出合ったご近所さんと歩調を合わすための

コミニュケーションツールとしての

「いつまで続くんでしょうね?」

だったかもしれない。

夏間近の時期に、毎年の事ですが

自分は別に暑くなくても、とりあえず言うとこか、の

「暑いですねぇ〜」

ってありますでしょ。

とりあえず共感できるテンプレート化した挨拶文。

言われた方も、別に暑かないけど

「いや、暑くありません」っていうのもアレやし

挨拶として合わせととこう、の

「私、もう死にそうですわ、奥さん」みたいな。

でも、お互いがちっとも暑くなんて思ってないっていう。

今は、暑いかもしれないが、今だけやん!みたいな

コロナ問題もこうなるとへっちゃらだし

社会が強くなるって、そういう事なんじゃないかな。

x線上の「2」〜生きているのは、死んでいること〜

おはようございます。

日本夢之助です。

最近漠然と浮かんできた死生観がございまして。

生き物の状態を言葉で表すと、

「生きてるか、そうでないか」

で、いわば二元論になります。

【言葉尻だけで】パーセンテージを決めるとしたら

各々50%ずつじゃないですか。

・生きている 50%

・生きていない 50%

そしたら

生きてるのと生きていない(死んでる)のって一緒の事なんじゃないか?

と思ったんですね。

(注:生きる意味とか価値は、ここでは別の話。)

例えば

織田信長って人は

生きてるときは、織田信長って人が生きてて

でも、死んでも織田信長は織田信長なんですね。

ただ、状態が変わっただけ。

それは

多くの人に語り継がれているような歴史的な大人物だからじゃなくて

個体として生まれてきた我々全員にいえることだと思うんです。

僕でいえば

生きてる僕は僕であるし

死んでも

僕であることに変わりがない。

状態(モード)が変わっただけ。

明日生まれてくる子も、今はまだ生きていないって状態ってだけで、

その子は次の日に生まれてきて、何十年後かに死んでいく。

死んだ先も、その子のアイデンティティは変わらない。

iPhoneも電源がONになって光っている時だけがiPhoneじゃなくて

OFFの時も、(役には立たないが)iPhoneに変わりがないですよね。

そんな事を最近考えてた時に、先日ですね

駅のベンチに座って待ってたんですね

ふと壁にかかってたアナログ時計を見た時に

(その時は針も差していなかった)数字の2が

なぜか目に入って、

ちょっとの間見つめながら、、、

学生時分に勉強した数学を思い出しまして。

座標の問題でx軸、y軸って出てきましたよね。

x線上の数の中で仮に適当に「2」という数値だけをピックアップした時に

その「2」は

果たして

それだけで存在し得るのか?と疑問に思ったんですね。

2の前の1以下の数と、

2から続く3、4、5、6、7、…という

【「2」ではない無数の値】があるから存在しえているんじゃないかと。

「2」までのそれまでの流れと、それからの流れがあって初めて

「2」という数値(記号)が自分の存在を証明し得るんだと思います。

だから、「2」であるっていうことは

「2ではない」というのと

一緒のことで、

これを「人間の生」に当てはめて

生きてるっていうのは、死んでること。

モードが切り替えるだけ。

という風に考えると、世間一般の「死の恐怖」というのも若干和らぐんじゃないかな?

とふと考えてみました

あまりにも

すぎて。

生き抜くためのダブルスタンダード

おはようございます。日本夢之助です。

今年の1月か2月そこら

コロナウイルスが大きく取り沙汰され始めた頃にも

僕は依然として大阪市内の観光施設において

かなり多くの人々(日本人を含めた海外旅行者)と接触してきました。

当時中国・武漢が発生源として酷い状況(併せて、報道も)だったにも関わらず

依然として中国からの旅行者は多かったですし

何千人か。

でも、少なくとも自分は

コロナウイルスの症状は出ていません。

(鈍感すぎて、気づいていないだけかもしれませんが。)

で、自分の周辺の人間の中に一切居ません。

だから、

事態・報道が大きくなってくる度に

自分はどういう認識を持って行動したらいいかと考えてえてたんですが、

僕なりの結論はイカです。

あ、

以下です。

●状況的には、既に感染している、可能性がある。

●(でも、発症していない事から)感染していない、かもしれない。

…という二重基準。

この二つは矛盾していますが、

でも

これからは矛盾しているこの二つの認識(疑問)を持っていかなければなりません。

個人レベルと社会レベル両方で。

既に感染しているのに酷い症状が出ない、という点を考えると…

自分に免疫力があったから、

と考えられます。

自分の体内の何が免疫力として作用したのかは知りませんけど

たまたま免疫力があって、体内でコロナを克服した、という仮定です。

そうなると、

自ずと、とるべき行動も結局1つに集約されます。

・未感染と仮定すれば、無駄に感染されない為に休日は基本、家。

・仕事で外出するときは、マスクする事でコロナ加害者にならない。

っていう、まぁ結局はフツーの事なんですけど。

吉村大阪府知事は、大阪府の財務的にとりあえず5月6日としているとの事です。

府の財務状況を理由(ネガティブ)としているとはいえ、

5月6日という【期限の根拠を明示】している点は

(その延長の可能性がゼロじゃないとしても)

リーダーの施政手法としては、納得出来ますよね。

向こう2年はきつい

おはようございます。日本夢之助です。

僕は、今回のコロナ問題は元に戻るのに

この先2年は厳しいと想定しています。

人によっては2年でも甘いと思うかも知れませんが。

これは、今年2月くらいから抱いてた漠然とした不安です。

何を根拠に2年?

とか

不安を煽るな!

と言われそうですね。

でも、逆に5月6日までの緊急事態宣言や、1年後のオリンピックも

何が根拠かわかりません。

だから、

誰と知れない僕が2年というのと

政府の出した緊急事態宣言の期限が5月6日まで、っていうのと

はっきりって

同価値だと思いませんか。

確かに素人然としてフワッとしてますが

強いて言えば

自分が好きな分野である『歴史』から学べる

非常時の危機管理意識です。

日本は第二次世界大戦で負けました。

それは無根拠な楽観論から帰結した結果です。

負けた、という言葉さえ間違いかも知れませんね。

「戦争を進めた」

ということです。

その一事だけでも今回の騒動に活かせれるのではないでしょうか。

で、今も「ある意味、戦時」と言われてます。

僕も同意見です。

だから、そういう非常時外交である戦争時の危機管理意識としては

最悪

を想定すべきです。

(常時外交でも必要だけど。)

・コロナ収束は早くて2年後

※人が受けた精神的な傷が治るのも含めて2年

・半分〜4分の3以上が職業変わっている

・収束後もリモート社会

・人が街から少なくなったら動物が里山から沢山下りて来そう

・オリンピックは2024年

※仮にオリンピックというイベントを人類が変わらず開催するのなら

僕はそういう見立てで生活していこうと思っています。

でも、僕ね最近

競馬の予想が全然当たらないんですよ…。

もし3ヶ月くらいで収束したら

それはそれで

ラッキーて事で片付けられるでしょ?

自己精神防衛です。

東日本大震災害時を繰り返すが如く

今は

コロナウイルスより人災って感じです。

再開

おはようございます。日本夢之助です。

以前まで、NTTのgooブログであったり、googleのBlogger、Mediumといった風にプラットフォームを転々としながら書いていたのですが

この2年近く怠けていまして、

書かない方がもはやデフォルト状態になっていたので

今日から毎日何かしら更新していこうと思っています。

では、なぜ今なのか。

昨今のコロナウイルス問題で我々含め全世界が揺れる中で、なぜ今再開するのか

今ね、

あらゆるメディアから飛び込んでくる情報が全てネガティブであるという、

情報環境自体が極めてネガティブですよね。

(※各々の情報の確度はここでは横に置いておいて)

TVや、ネット、SNS、Youtubeから発せられるあらゆる情報

また、それに対するコメントも

すべてテンションが下がるモノだらけです。

その多くが、政府と外出する人への文句であったり、不安であったり。

で、その不満や不安ってのは

人の気持ちですし、その人自身にとっての【真実】ではあるので否定するつもりはないのですが、

そういった情念でも、たまたま受け取った人にとっちゃ2次、3次情報なのである。

ともすればこのブログでの記事さえネガティブな情報の一つとしてなりえてしまう。

だから、最近は意識的に情報もほとんど絶ってます。

スマホ通知で入ってきた速報のタイトルだけで十分じゃないのかと思います。

それでも

自分にとって大切な情報というのは何かしらちゃんと入ってくるものです。

で、ここ大阪も、おとといの緊急事態宣言の対象地域にもなりましてね。

外出自粛要請出てるじゃないですか。

食料を買いに行く時以外は常時 インマイハウスです。

でもね

やっぱ家でもアゲアゲで行かないといけないと思うんですよね。

ちゃんと頭使ったら一人でもアゲアゲで楽しんでいけると思うんです。

それは

例えば僕で言えば

嘘でも吉本に籍を置かせていただいてる身ならばネタ作りもできますし

勉強や研究も時間かけて出来ますし

好きな事はもちろん

新しく、例えば今だったらYoutubeですかね、

何かを始めることなんて家に居たって誰でもできるはずなんです。

幸いにも、

僕は好奇心が多い方なので趣味に困らないのでございまして

今まで自分という棚に置いてきた多くの趣味を

棚卸しする様に、何かしら楽しんでいる姿を綴っていこうと思います。

僕にとって「毎日ブログを書くこと」は

コロナ情勢のこれから生き抜いていく為に必要最低限な事の一つかな、と感じたので、再開しました。

そういう

何かね

楽しんでいる姿を見てもらって

一人でも多くの人に

「あ、俺も何か始めてみようかな」って思ってもらえたら、、、

などと

それは多少思い上がりの増上慢、雨上がりの増上寺・芝大門ではございますが、

以前同様

幾分能天気すぎるブログの再開でございます。

以上。

★朗報:みなさんの貴重な時間を多くを奪いたくないので、次からはもっと短めに・簡潔に・まとめて書きます。できなかったらごめんなさい。

★あと、校正はちゃんとしてるつもりですが、誤りを見つけたら文章はしれっと修正します。