コロナは常に全力 〜「第2波」という言語表現〜

おはようございます。日本夢之助です。

7月18日は感染者数は655人と発表された。

宣言解除後、最多人数という。

各メディアで

コロナの「第2波」の脅威が謳われているが

この言語表現がどうも腑に落ちません。

何か、他人(コロナ)のせいにしているニュアンスで。

コロナウイルスが

「くらえ!第2波じゃ〜」

とコロナの意思で波状攻撃して来ている訳でなく、

コロナウイルス はいつだって全力のはずだからです。

要は、

こっちの対応次第で

第3波、第4波…と認識されるだけ。

一回引き締めて

緩めばまた流行るし(第2波)、

また引き締めて、それで緩んだら、それは第3波だし。

でも環境は全く変わってなくて、

人間の己自身の出方で、あたかも変化しているような景色をどう認知するかの話ですよね。

第2波というのは

「これは我々(政府)の責任じゃないですよ」と言っているように聞こえます。

それをマスメディア全体がこぞってと連呼するというのは

そういう風な表現をするように、という御通達が

国の方からあったのではと、勘繰らずにはいられないのでして。

以上。

本日、若い命が断たれたと伝え聞いた時には本当に驚きました。

同じくらいの年代の方の死はショックです。

三浦春馬さんのご冥福をお祈りします。

《今日の味噌汁》

〜玉ねぎと小松菜とほうれん草〜

ここ3日くらいは同じメニューですが、一々作っているのです。今日はかなり早い(新鮮な)段階で揚げたのですが、めちゃくちゃ美味しいですね。

昆布ダシはくどい

おはようございます。日本夢之助です。

先日、味噌汁を作ろうと思った時に

あっ

と味噌が切れてたことを思い出したが、既に深夜0時である。

味噌を売っているところなんて

コンビニしかないが、買わないわけには行かないので

最寄りのコンビニに行って味噌を探したが、

ダシ入りの結構な量の味噌しか置いてなかった。

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我が家は(といっても、一人だけど。独人だけど。)

あご出しなのだが

かつお・昆布ダシ入りだと結構変わるだろうなと

嫌な予感がした。

使わなくなったら、量が量だけにめんどくさいな。

しかし、味噌汁を作らない訳にはいかないので

どことなく腑が落ちぬまま、

全然乗り気じゃなく味噌を買った。

味噌に失礼なくらい乗り気でなかった。

で、買って作ってみたら

案の定、おいしくなかった。

やはりアゴ出しだ。

とりあえず、味噌汁に関しては。

で、だしはだしで取るし!味噌に入れてくれるな!

(粉末だけど)

そもそも、「昆布ダシはくどい」といつもの心のメモが役に立たなかった。

そして、

あくる日、スーパーで「味噌」と「あわせ味噌」を買って

作ったら、やはり美味い。

これに限る。

わたしは、どこに向かって走っているのだろう。

ほぼ100パーセント余った出し入りの味噌は、自家製麻婆でなんとか使い切ります。

《今日の味噌汁》

〜玉ねぎと小松菜とほうれん草〜

自転車通勤

おはようございます。日本夢之助です。

自転車通勤を始めようかと思っています。

むしろ遅いぐらいですね。

車の免許を取り始める人や、自転車を買う人もかなり増えてきているそう。

遅いながらも、流石に明日から!と思い立ったが凶日、

梅雨真っ只中で雨が降るのか降らないのか

判然としないまま7月も、もう後半です。

しかし、

蜜を避ける目的では自転車が一番いいかもしれないですね。

電車はすごい密です。

人が少ない内は

ひと席分空けるのが暗黙の内に成立できてるのですが、

人が多く乗ってくると、平気で間に入ってきてギューギューです。

かと、言って避けてすぐ立つ訳でもないのですが、

不快を感じながら電車に揺られるのを考えると、希望しかありません。

とりあえず、自転車保険に入ろうと思います。

以上。

《今日の味噌汁》

〜玉ねぎとほうれん草〜

断・Youtube生活により

おはようございます。日本夢之助です。

断・Youtube生活により

「時間」が圧倒的増えたのは良いが

代わりに

Instgarmaの時間が増えてしまった。

意味ないじゃん!

という事で、来週からは

断とはいかないまでも

「控・インスタグラム」

をさらに追加しようと思う。

今回の増えた時間により

司馬遼太郎の『空海の風景』を一気に読み了えることがでた。

おかげで

空海のこと、

最澄のこと、

奈良仏教のこと、

旧奈良仏教と平安仏教の違いなど

唐(中国)の事など

全く、日本史の学習の時間だけでは掴めず、

そのままに置き捨てていた「仏教」の流れを

僅かながら掴むことができた。

この『空海の風景』は

司馬遼太郎の最期期の作品なのですが、

高野山(域)で一番売れている本らしい。

、、、というのを耳にする事で、読まなければという義務感を持ちつつも

好物に箸をつけないかのごとく

どこか後回しにしておいたのだが、

河内小阪の司馬記念館に行った折に土産として上巻を買って帰った。

そして、読み始めてなぜかすぐやめてしまい

随分空いてしまっていた本ではあるが、

今回の断・Youtube生活のおかげで一気に読み終えることができた。

空海と、もう一人の主人公(とまでは言えないが)最澄にもすこし興味が出た。

早速、街道をゆくシリーズの「叡山の諸道」を買って今読んでいる。

以上。

《今日の味噌汁》

〜玉ねぎとほうれん草〜

一瞬の時刻(とき)を感じる

おはようございます。日本夢之助です。

 

靴下を買いに久々にユニクロに行った。

“コロナ”により宣言が出され、店がどんどん閉まって行ってる頃に思っていた事は

 

「せめて、ユニクロは空けていた方がいいのでは?」だ。

ずっと部屋着で過ごすわけにはいかないだろう、と、

自粛だからこそ、新しい下着などが余計に必要になってくるだろう、と

 

あの、ユニクロの、安い下着自粛中こそ大変助かるのに、と

そう思ってたくせして

汚い下着で他人(ひと)以上に我慢して着てきて

結局のところ、全然行かなかった。

 

その前からも実のところ行ってなかった。

そして、

今日、久々に行ったら

レジがセルフになっていた。

 

これは、コロナによる影響によるものなのだろうか?

それとも、元々か?

別に、セルフに躊躇っているのではない。

 

スーパーの買い物などでは

仮に有人とセルフが両方あればセルフの方を選ぶほど、慣れている。

 

慣れ親しんでいる。

 

と、玄人としての自負があった。

「わたしを誰だと思っている」と。

 

しかし、すべて打ち砕かれました。

 

タブレット型のレジから目線を落とすと、風呂の浴槽のような真っ白いシンクがあって

その容器自体がバーコード読み取り機なのだ。という事で、正解は、

 

購入する商品を一気に放り込めさえすれば、一瞬にして読み取ってくれる。

どんなに雑に入れても、どう重なっていようが、読み取ってくれるであろう。

っていうか、今から思えば、「購入する商品を入れてください」と書いてあったのに。

 

赤い光なんてどこにも走ってなかった。

読み取る毎に一々迎えてくれる「ピッ」という音もなかった。

実にスマート。

それなのに、

 

赤い光など出ていない、タブレットと台の狭っっっい隙間に

バーコードに読み取ってもらおうと商品を通していた。

何度も。何度も。

 

結局、赤い光は走らず

見兼ねたスタッフが走ってきた。

 

すべてが終わった後に残ったのは『感動』の感覚だ。

 

あの、白いシンクっぽいカゴに入れただけで

一瞬ですべての商品が読み上げられたことだ。

 

正真正銘の「一瞬」という時空(とき)を具体的に感じた。

その永さは他に憶えがある。

恋に落ちる時の “間隔” に似ていた。

 

だから

あれは、まことに一瞬であったに違いない。

と同時に、この短縮分こそがまさに「進化」の歩幅なのだ。

《今日の味噌汁》

〜玉ねぎとほうれん草と水菜〜