本日から出展してますBEATS写真展「赤い馬」

久しぶりに更新します。

本日8月28日より大阪今里にあるBEATSにて

「赤い馬」という写真展に出展しています。

中平卓馬という伝説的な写真家がいます。

もう亡くなられているんですが、今年も東京の国立近代美術館で「火―氾濫」回顧展が開催されたりして、

普段から中平卓馬を意識することもないのですが、少なからずも写真を撮っている身としては

見ておかないと、ということでそれだけのために東京に見に行きました。

正直、全く解らなかった。

(写真に通ずる人たちによる)世間がなぜナカヒラナカヒラというのか。

彼が撮った写真群を見ても、何も感じなかった。

腑に落ちなさを抱えて大阪へ帰ってきた。

そして、すぐに

今回の写真に参加することが決まり、本格的に彼の著作(まずは「なぜ、植物図鑑か」)を丹念に読み始めたのだが、

読み進めていくと

彼が何を考えていたのか、何をやろうしていたのか、

社会を、写真をどう見ていたのかがわかるようになり、だんだん好きになってきた。

今回のグループ展は、彼に対するトリビュート(敬意を払い)を出展者各々の結晶になるのだが、

正直、中平っぽいの写真を撮ったところで何もならないと感じた。

むしろ、

社会での写真の機能について

自分なりの考えや、そういうものがなかったとしても仮説立てて実証していく行為が

彼に対する敬意なのでは、と思いました。

最近、思いついた仮説じみた考え方があるが、そういうものを証明することのみが

自分が写真を撮る者としての唯一の行為なのでは、と思います。

台風10号により足元は確実にお悪くなりますが、どうぞお越しくださいませ。

リハビリがてらのブログ再開お本日はここまで。

BEATS「赤い馬」2024.8.28 – 9.01

水〜土 / 12:00〜19:00

  日 / 12:00〜18:00

☆4階スタジオでは醍醐マサヒロ個展「MONTHLY DAIGO one five 15」同時開催です。

仁鶴師匠 〜ピンのかっこよさを教えてくれた〜

こんにちは。

日本夢之助です。

 

先日、笑福亭仁鶴師匠が亡くなられた。

組織の末端に位置する私は

ネットの報らせに触れて初めて知った次第なのですが…

喫茶店にて

なんばグランド花月にて進行係(裏方)として関わらせていただいた時期には

こんな私にも仁鶴師匠とお話しさせて頂いたことがある。

進行係の旨味といいますか、オイシイところは

舞台袖で先輩方の舞台を勉強できることである。

落語の高座で言えば

一番見に行ってたのは、仁鶴師匠の舞台だ。

舞台上での内容というよりは

袖から舞台に行く時の姿が印象的で、それを毎度見に行かせて頂いてた。

決して大きくないあの体一つ(ピン)で

舞台に出ていき

持ち時間一杯、客を笑わせ

一人で戻ってこられる。

(まぁ、当たり前である。

人が増えて戻って来たら、それはそれでおもろいのだが。)

あのNGKの舞台を小さな体で一人でもって10分ないし15分間支える「格好良さ」を

あの背中に感じていました。

ピン(芸人)の格好良さを教えていただいた方である。

人が増えたら(漫才コンビ・新喜劇)笑わせるのが安直な話ではないのだが、

コンビはコンビならでは難しさのあるだろうし

新喜劇(集団)みたいに人が増えればそれだけ難しくなるのかもしれない。

しかし

それにしても

一人なのである。

わたしも元々一人(ピン)だが、

(ああ、ピンでいいんだな)と再確認出来るのである。

※こういうのは、ピンでどうにかなってる奴の台詞だけど。

ある年に、仁鶴師匠が独演会を開催された時に

同時に発売したDVDを買いまして。

同梱されていた本に

“演技しすぎると、それはそれでダメである”というようなことを書かれていたのが印象的で、

それについて直々に話を聞きたく、訊きに行った事がありまして。

しかし、質問している最中に、

”演技力をセーブ(コントロール)できるほど己に演技力があるのか?”と

はっ!と気づいて、

ひとり凄く恥ずかしくなった思い出がある。

その時のお話はなにも覚えてないw

舞台袖ではよくロシア民謡を口ずさんでらっしゃった。

NGKの週始まりの火曜日の朝、楽屋入りで白黒のチェックのジャケットで

「おはよう」

と挨拶をいただいた爽やかな姿をまだ鮮明に残っている。

ありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・

それにしても、

前回の投稿は4月22日、チャーリー浜師匠が亡くなられた時で、

それ以来である。

俺は、人が死なな書かんのか!

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・

チャーリー浜師匠の事

吉本新喜劇のチャーリー浜師匠が亡くなられた。

 

この様な事が起こった時にしか書かないのか、と自問もしたが

自分の為にこれは書いておきたいと思ったので、ここに記しておきます。

 

私のような者にも実は

師匠と関わりは、ある。

それは同じ芸人としての共演は(不幸にも)叶わずじまいで、

思い出といえば、

劇場の進行役(裏方スタッフ)として約3年ほど

関わらせて頂いたことである。

 

例えば

向こうにチャーリー浜師匠を見とめ、

「あ、こっちに来られるな」

という時など

緊張で背筋がピンと伸びるのである。

が、それでいて

次の瞬間

師匠が何を発せられるかワクワクする

そんな大先輩であられた。

周りの芸人をワクワクさせる芸人など少ないし、

しかも

あのキャリアにして、相当若い世代の自分にそう感じさせる、といったところに

芸人としての気力、精神力の若さ・色気を常に感じさせられていた。

 

挿話としてよく語られる、

若手芸人が「チャーリー師匠!」と呼んでも

「師匠と呼ぶな!チャーリーと呼べ!」

と怒られる、というのは本当の話で、というかよく目の当たりにする光景である。

かといって

大先輩を「チャーリー」と呼ぶわけにもいかなので、

そういう時というのは、

師匠に関わりのあった多くの若手芸人にとっては日常茶飯事の『大いに困る場面』なのである。

良かれというか、師匠だから師匠と呼んでいるだけなのに、なぜか怒られているという不条理が世の中に発生している事実が面白い。

 

その後、

私が劇場進行役を辞めて、芸人をしながらスナックでバイトをしてた時分にも

師匠は店に来られ(元々そこの店の古い客だった!)、

まがりなりにも

私のような者も覚えていてくださってて、

そういう事は本当にありがたい事である。

其の、ただ一点だけでも

私の人生には既に何輪かの花が添えられている、といえる。

 

なぜなら、

小学生の時分に「吉本ギャグ100連発」というビデオを見、

中でも、チャーリー浜師匠のギャグに感銘を受けて

お笑いというものを知り、お笑いを好きなったようなものである。

今の自分のセンスというのは

誰のおかげか?と考えれば、

それはチャーリー浜師匠なのである。

そして、

あの輝かしいギャグを超えるものを作るために

私も芸人(と、今は言い張って、でだが)続けているつもりなのである。

ギャグを作るに当たっては

「(師匠の)あのギャグに追い付けただろうか?」という判断基準であったし

亡くなられてこれから先も

追いかけるべき「ギャグの旗手」として

私の中で走り続けて頂く所存ではある

 

ありがとうございました

お悔やみ申し上げます

時価の写真集? ~手打ちでお願いします~

手打ち、とは…

その時スマホでググって、パッと出てきたのが

「確執を取り払って和解すること、不和を解消すること、」

の一文。

今、これを書いている自分の部屋にある「岩波国語辞典 第7版」には、

①取引・和解が成立したしるしに、両手のてのひらを打ち鳴らすこと。手をしめること。

③昔、武士が家来や町人を自分の手で切った事。

とある。

昨日、本屋で写真集を見てまして。

結構マニアックな写真集が割とたくさん置いてある書店で、

たまたま手にとった写真集は

簡易であるがケースに入ってて、値段が書いてない。

開くと、変な紙切れがクシャクシャになって挟まっている。

中身を開いて見れるのだが

やはり、どこを見ても値段が書いていない。

取り出したケースの奥に

これまたくしゃクシャになった紙が残っていた。

折れに折れて、

開かずに判った事は

それが売り上げカード(売本に挟まっている短冊)っていう事と、

ボールペン字の赤い手書きで

「手打ちでお願いします」

とあった。

手打ち?

手打ち?

手打ちでお願いします?

手打ち、ですぐ思い浮かんだのが

「これで手打ちにしましょう」

というヤクザ映画や時代劇に出てきそうな台詞で、

手打ちという言葉のイメージは何となくあって、

再確認でググって出てきたのが、冒頭に載せた説明文なのである。

それが、このシチュエーションの場合にどうなるか想像したら…

値段が店との故障で決まる、

いわゆる

時価!

と思い、

何万円とかだったらどうしよう。

っていうか、

接客してくれた店員さんと値段交渉するのだろうか?

いや、時価と言っても決まっているのだろうが、これから接客してくれる店員さんにその値段が

ちゃんと浸透しているのか??

店長が出てくるのか?

などと、別にこの写真集を買うわけじゃないが、

仮に買うとした時に迎えるべく、色々面倒臭そうな近未来を想像したのだが、

よく考えたら

レジの手打ち

って事だなと気付いた。

売上カード(とそこに書いてある事)なんて店員同士でやり取りするものなのに、

ケースの奥に意味ありげに残っってるもんだから

意味ありげにくしゃくしゃになってるもんだから

意味ありげに大事な事だけが見えたりしたもんだから

「手打ちでお願いします」

は、己を見つめ、迫ってくる、

まさに、メッセージ然としていたので、

無駄に恐怖した。

以上。

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《今後の出展》

・「モノクロベスト2019セレクション展」

ライムライト帝塚山 11月22日(日)〜28日(土)

・「BEATS BEST2020」

BEATS GALLERY 12月11日(金)〜20日(日)

・「モノクロベスト2020」

ライムライト帝塚山 12月13日(日)〜20日(日)

今日の今日ハマった曲「Rock’n Rouge / 松田聖子」

おはようございます。日本夢之助です。

今日の今日、ハマってしまった曲の話。

松田聖子さんの『Rock’n Rouge(ロックン・ルージュ)』です。

わたしは、

松田聖子さんのベストアルバム「Bible(バイブル)」を、

入門盤にして名盤だと思っているのですが、

『Rock’n Rouge』もその盤にも入っていて、そういった類のベストアルバムには必ず入っている曲である。

ハマってずっと聴いていた時期はあまり引っかからなかったのですが、

今日ね、突然、どハマり出しました。

ハマった理由がありまして。

歌入りで聴く時の印象と、伴奏(ピアノ演奏のみ)だけの印象と

全然違うんですね。

最近、ユーミンの曲をピアノ演奏している人(自称ユーミン作品研究家・rufunifuさん)のYoutubeを聴いてまして、

それまで心に引っ掛からなかった曲に、初めてハマるみたい事が

今年は多い気がします。

『Rock’n Rouge』も作詞は松本隆で

作曲が呉田軽穂、という松田聖子の初期を彩った黄金コンビなのですが、

この「呉田軽穂」というのはユーミン(松任谷由実)の楽曲提供時の名前なのです。

という事で、

今日もユーミン作品研究家(rufunifuさん)のミックスリスト(関連動画)を何気なしに聴いていたら、

あれ?

なんか、めちゃくちゃ良い曲だな!と心に引っかかったのでございます。

他の曲では松本隆さんの詩も素晴らしいのですが、(「時間の国のアリス」など)

この曲に関していえば、

松田聖子さんが歌っている普通バージョンも聴いてみたところ、、、、

圧倒的に

ピアノ演奏のみのバージョン(=作曲)が素晴らしいんですね。

松田聖子感と歌詞が、、

まぁ、要らないとは言いませんが

言いませんが

言いませんが

言いませんが

まぁ、要らないですね。

メロディに3回のドラマ(起伏)がある(と思っている)、素晴らし過ぎる曲です。

2020年、残り3ヶ月、がんばれそうです。

下部にYoutubeを貼り付けておきますので

お時間ありましたら、ぜひ聴き比べてみてください。

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松田聖子『Rock’n Rouge』

https://youtu.be/XRalHZV3Gho

ピアノのみバージョン(演奏:rifunifuさん)