死について

死についてたまに考えることがある。

こういうことを書くと「死にたいのか?」と思わせてしまうかも知れないが、

全然そうではない。

寧ろ、長生きするだろう。

そう思うぐらいに「死」というものが自分と本当に関係があるのか全くイメージできなのだけど

頭で考えれば必ず訪れるものでもある様だし、

友人や知人が実際に亡くなった。

数年前には祖母も亡くした。

だからという訳でもないが、「死」が何なのかということを随分前から考えたりしてきた。

このブログのどこかでも、その時点でまとまった考えを吐露したこともあったと記憶する。

まず、最初の問いは

「なぜ、自分は死にたくないと考えるのか」

それは、怖いからだ。

なぜ怖いのか。

痛いかも知れない。

いや、それは分からない。

死んだ事がある人がこの世に居るならば聞いてみたい。

死ぬ瞬間は痛いのか。

痛いかどうか分からない「死」が何故怖いのか。

じゃあ、死を恐れる理由は他にある。

自分が忘れられるのではと考える。

とりあえず、今のところの理由はそれである。

なので、「死が怖い」に変わらないのだけども

そしたら次は、どう考えたら死を怖く感じなくなくなるだろうかという方法である。

こういうのはどうか。

人の生/死とは電気のON /OFFのようなものではないのか。

電気というのは、ONにす(点け)れば周りを明るく照らすことができる。

その状態が人間の「生」であるとすれば、「死」は電気が点いてない状態である。

普通に生活をしていれば、電気がONの状態(もしくは効果)に価値がある様だが

それは我々がそこに多く価値を置いているからだけの話であり、

ともすればOFF(点いていない)の状態にも価値を置くこともできる。

『明るく照らされ過ぎた世界は、電気を消して守らなければならない』

なので

「電気のONとOFFは等価値」である。

そして、電気という装置自体は、ON /OFFの状態が切り替わるだけで、変わりがないのである。

OFFでも変わらず電気という装置はそこにあり続ける。

それを人の生死と重ね合わせると

「生」と「死」は等価値である。

「私」という意識がこの世にずっといて、

肉体という物理的生命が宿っているか、肉体を離れて意識のみが存在する、

そう考えることで

「死」に対して若干は恐れが薄くなる様な気がするのである。

こういう考えは、輪廻転生ではなく

「私」という“意識”こそが「私」なのであり、それが肉体が死んでも

もしかすると霊魂となって存在し続けるのでは、という考えが前提である。

という事で、

生と死が等価値だからといって死ぬ訳でもなく

今生きていることで知れている「生」の状態しか知らないもんだから

その「生」を精一杯生きなければならないのである。

また明日。

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