吉本新喜劇のチャーリー浜師匠が亡くなられた。
この様な事が起こった時にしか書かないのか、と自問もしたが
自分の為にこれは書いておきたいと思ったので、ここに記しておきます。
私のような者にも実は
師匠と関わりは、ある。
それは同じ芸人としての共演は(不幸にも)叶わずじまいで、
思い出といえば、
劇場の進行役(裏方スタッフ)として約3年ほど
関わらせて頂いたことである。
例えば
向こうにチャーリー浜師匠を見とめ、
「あ、こっちに来られるな」
という時など
緊張で背筋がピンと伸びるのである。
が、それでいて
次の瞬間
師匠が何を発せられるかワクワクする
そんな大先輩であられた。
周りの芸人をワクワクさせる芸人など少ないし、
しかも
あのキャリアにして、相当若い世代の自分にそう感じさせる、といったところに
芸人としての気力、精神力の若さ・色気を常に感じさせられていた。
挿話としてよく語られる、
若手芸人が「チャーリー師匠!」と呼んでも
「師匠と呼ぶな!チャーリーと呼べ!」
と怒られる、というのは本当の話で、というかよく目の当たりにする光景である。
かといって
大先輩を「チャーリー」と呼ぶわけにもいかなので、
そういう時というのは、
師匠に関わりのあった多くの若手芸人にとっては日常茶飯事の『大いに困る場面』なのである。
良かれというか、師匠だから師匠と呼んでいるだけなのに、なぜか怒られているという不条理が世の中に発生している事実が面白い。
その後、
私が劇場進行役を辞めて、芸人をしながらスナックでバイトをしてた時分にも
師匠は店に来られ(元々そこの店の古い客だった!)、
まがりなりにも
私のような者も覚えていてくださってて、
そういう事は本当にありがたい事である。
其の、ただ一点だけでも
私の人生には既に何輪かの花が添えられている、といえる。
なぜなら、
小学生の時分に「吉本ギャグ100連発」というビデオを見、
中でも、チャーリー浜師匠のギャグに感銘を受けて
お笑いというものを知り、お笑いを好きなったようなものである。
今の自分のセンスというのは
誰のおかげか?と考えれば、
それはチャーリー浜師匠なのである。
そして、
あの輝かしいギャグを超えるものを作るために
私も芸人(と、今は言い張って、でだが)続けているつもりなのである。
ギャグを作るに当たっては
「(師匠の)あのギャグに追い付けただろうか?」という判断基準であったし
亡くなられてこれから先も
追いかけるべき「ギャグの旗手」として
私の中で走り続けて頂く所存ではある
ありがとうございました
お悔やみ申し上げます