おはようございます。日本夢之助です。
用があり、こんな動画を見てた。
朝まで生テレビ「激論!A I時代の幸せな生き方とは?!」
もう3年前の放送である。
AIについての議論には
「AIに仕事が奪われる」という、脅威の感情が紐づけられた意見が必ず出る。
その対立意見として
そしたら、A Iを駆使していかに折り合うか
だとか
そんなことはない
というものもある。
わたしの意見は、最近その
「AIに仕事を奪われる論」ないし
A Iに奪われる、という《脅威》自体に懐疑的である。
今の仕事が未来永劫続くのか!?
AI脅威論で一番恐れられている(?)「仕事を奪われる」というのも
笑止千万、といいますか、
世界の趨勢である。
例えば、
200年前、100年前、50年前、20年前にあった仕事がどれだけ続いているであろう?
僅少のはずである。
しかし、「AIに仕事が奪われる論」は
明日、今ある仕事の何分のどれだけかが
いきなり消滅するようなテンションで語られるのだ。
しかし、想像するに、
奪われていく時というのは、意外と納得がいっているのではないか?
奪われる側というのは、そうなってしまうまでに肌で感じたりして
仕事を変えたり、
例え、その仕事が必要なくなって明日会社に来なくてもいいよ、となっても
割と、グウの音も出ないのではないか?
経験したことないけど。
日本の歴史で幕末から明治にかけて
それまで日本社会の最上位層に君臨した武士が
「廃藩置県」によって全員廃業したのだ。
これは結構、急激である。
わたしの部屋の中に、資料としてそういった時代の写真があるが
当時のサムライたちの肖像写真、彼らの聡明そうに見える表情を眺めて
廃藩置県のことを思い巡らしても、
彼らが武士(という職業)にシガんだのか?
幕末期からの社会情勢と幕府瓦解、新政府が次々に出す政策や、街の移り変わり、文明開花など
そういった事を横目で見ていて考えないはずはない。
彼らは「自分たち武士など本当は必要ない」と自分で気づいてたのでは?
と、わたしはそのように想像する。
気づいていたけど、気づかないふりして、やれるところまで武士をして、
でも、明日から武士で禄は貰えないから
黙って、生き延びる仕事を探したはずなのだ。
仕事が奪われる=?
A I に仕事が奪われる、
なんて事は
その冒頭に「A I」という言葉が置かれるだけで一つのディストピアを頭の中に描けてしまうのだが、
「仕事を奪われる」ということなんて日常茶飯事じゃないかと思うんですね。
例えば
出世競争に敗れたり、
つく派閥を間違えたり、
コロナで失業の憂き目に遭うのも、
見方では
「コロナに仕事を奪われた」とも言える。
しかし、その度に次の仕事を考えて、転職する訳だから
果たして
「A I に仕事を奪われる」ということが必ずしも特異なことではない、と思われる。
同じようなことは、既に、今日の日常社会の中で無数に起きていることである。
「AI に仕事を奪われる」というのは
個人的なものとしてズームすれば
ただの「失業」に過ぎない。
たぶん、毎日1つ1つ仕事がなくなっていっている
A Iによる失業は
明日いきなり
何千、何万種の仕事がなくなって
何百万、何千万、
それこそ何億人もの人がいきなり失業というのは
ありえない、と思う。
(しかし、起こらないとも限らない笑)
例えば
日本の社会でも、10年後には4分の3の仕事がなくなっている
という仮説があったとしても、
それは
1日1日着実に、それに向かっていくだけで
代わりに
4分の3の新しい仕事が出来ているだろう。
出来てなくても
今の4分の1の仕事だけで社会が成り立っているとしたら、
それはそれで、そんな社会も見てみたい。
現段階でワーワー叫んだところで、
意外と、最適化されているはずである。
なので、
今も、毎日A Iによって仕事が一つずつなくなり
その代わり、新しい仕事が創出されている。
かもしれない。
以上