「AIに仕事が奪われる」論

おはようございます。日本夢之助です。

用があり、こんな動画を見てた。

朝まで生テレビ「激論!A I時代の幸せな生き方とは?!」

https://youtu.be/Tw2fN_EXnxE

 

もう3年前の放送である。

AIについての議論には

「AIに仕事が奪われる」という、脅威の感情が紐づけられた意見が必ず出る。

その対立意見として

そしたら、A Iを駆使していかに折り合うか

だとか

そんなことはない

というものもある。

わたしの意見は、最近その

「AIに仕事を奪われる論」ないし

A Iに奪われる、という《脅威》自体に懐疑的である。

今の仕事が未来永劫続くのか!?

AI脅威論で一番恐れられている(?)「仕事を奪われる」というのも

笑止千万、といいますか、

世界の趨勢である。

例えば、

200年前、100年前、50年前、20年前にあった仕事がどれだけ続いているであろう?

僅少のはずである。

しかし、「AIに仕事が奪われる論」は

明日、今ある仕事の何分のどれだけかが

いきなり消滅するようなテンションで語られるのだ。

しかし、想像するに、

奪われていく時というのは、意外と納得がいっているのではないか?

奪われる側というのは、そうなってしまうまでに肌で感じたりして

仕事を変えたり、

例え、その仕事が必要なくなって明日会社に来なくてもいいよ、となっても

割と、グウの音も出ないのではないか?

経験したことないけど。

日本の歴史で幕末から明治にかけて

それまで日本社会の最上位層に君臨した武士が

「廃藩置県」によって全員廃業したのだ。

これは結構、急激である。

わたしの部屋の中に、資料としてそういった時代の写真があるが

当時のサムライたちの肖像写真、彼らの聡明そうに見える表情を眺めて

廃藩置県のことを思い巡らしても、

彼らが武士(という職業)にシガんだのか?

幕末期からの社会情勢と幕府瓦解、新政府が次々に出す政策や、街の移り変わり、文明開花など

そういった事を横目で見ていて考えないはずはない。

彼らは「自分たち武士など本当は必要ない」と自分で気づいてたのでは?

と、わたしはそのように想像する。

気づいていたけど、気づかないふりして、やれるところまで武士をして、

でも、明日から武士で禄は貰えないから

黙って、生き延びる仕事を探したはずなのだ。

仕事が奪われる=?

A I に仕事が奪われる、

なんて事は

その冒頭に「A I」という言葉が置かれるだけで一つのディストピアを頭の中に描けてしまうのだが、

「仕事を奪われる」ということなんて日常茶飯事じゃないかと思うんですね。

例えば

出世競争に敗れたり、

つく派閥を間違えたり、

コロナで失業の憂き目に遭うのも、

見方では

「コロナに仕事を奪われた」とも言える。

しかし、その度に次の仕事を考えて、転職する訳だから

果たして

「A I に仕事を奪われる」ということが必ずしも特異なことではない、と思われる。

同じようなことは、既に、今日の日常社会の中で無数に起きていることである。

「AI に仕事を奪われる」というのは

個人的なものとしてズームすれば

ただの「失業」に過ぎない。

たぶん、毎日1つ1つ仕事がなくなっていっている

A Iによる失業は

明日いきなり

何千、何万種の仕事がなくなって

何百万、何千万、

それこそ何億人もの人がいきなり失業というのは

ありえない、と思う。

(しかし、起こらないとも限らない笑)

例えば

日本の社会でも、10年後には4分の3の仕事がなくなっている

という仮説があったとしても、

それは

1日1日着実に、それに向かっていくだけで

代わりに

4分の3の新しい仕事が出来ているだろう。

出来てなくても

今の4分の1の仕事だけで社会が成り立っているとしたら、

それはそれで、そんな社会も見てみたい。

現段階でワーワー叫んだところで、

意外と、最適化されているはずである。

なので、

今も、毎日A Iによって仕事が一つずつなくなり

その代わり、新しい仕事が創出されている。

かもしれない。

以上

選挙に行かない人 〜大阪市民、逡巡⑤〜

おはようございます。日本夢之助です。

自分は成人してから欠かさず選挙の投票には行っている人間だが、

そうでない人間もいる。

投票に行く人間は

どういう選挙結果でも、それを結果を受けるんです。

逆に

投票行くからこそ、どちらの方に転んでも

ある程度、受け身が取れると思うんです。

今回の

都構想の住民投票

もとい

大阪市を廃止して特別区を設置する住民投票

に対する関心が如何程のものかは知らないのだけど、

無関心で

投票しに行かない人や、

勘違いして、YESに投票してしまう人は

投票が賛成可決で通れば

住所の表記が変わった時にびっくりするだろう。

「まさか大阪市がなくなるとは思ってない」人が多いのだそう。

その点、

今回も投票に行くわたしは

どう転ぼうとも結果に甘受しないと行けなのですが、

それは

わたしが「たまたま」興味があって投票しに行くからで、

一歩間違えれば

そんなことに全く興味のない人間だったかもしれない。

そういう

「if」の世界は怖い。

以上。

大阪市民、逡巡 〜大阪都構想④〜

おはようございます。日本夢之助です。

「大阪市民、逡巡②」の方で

引退を明言(「記者に訊かれたから答えただけ」らしいが)した政治手法を批判しましたが

(政策に余計な色が着くから。)

やはり、

都構想に政治生命を賭けてる事を明言するのは良くないですね。

知らんがな、って話ですし。

まだ住民投票もしてない内に

反対されたら辞める、って

それが松井氏への不信任には値しないと思うんですけどね。

住民投票への反対多数の理由が「松井氏」と判れば、別に辞任しても良いと思うが、

松井市長や大阪維新の会を応援している人々も

是々非々で判断するのに。。。

そうなんです。

辞任の明言は

自分を応援している人を投票行動を縛る意味をしてるんです。

だから、タチが悪いんですね。

で、それで辞めたり、明言されたりしたら

「そんなもんか」「そんなに軽いものなのか」と

何年も磨いてきた政策(都構想)もしょうもなく思えてきますし。

だから、

政治家にしても、なんでも

続けることがいかに大事か、いかに意味を持つか、っていうのが

松井市長の引退明言で分かります。

そして、

某TV局のキャスターの、松井市長に対する

「引退を明言されるのは、余程の自信がおありなんですね?!」という質問は、

すごく

トンチンカンに聞こえたのですけど、

僕が

間違っているのでしょうか???

今日は以上。