今日の今日ハマった曲「Rock’n Rouge / 松田聖子」

おはようございます。日本夢之助です。

今日の今日、ハマってしまった曲の話。

松田聖子さんの『Rock’n Rouge(ロックン・ルージュ)』です。

わたしは、

松田聖子さんのベストアルバム「Bible(バイブル)」を、

入門盤にして名盤だと思っているのですが、

『Rock’n Rouge』もその盤にも入っていて、そういった類のベストアルバムには必ず入っている曲である。

ハマってずっと聴いていた時期はあまり引っかからなかったのですが、

今日ね、突然、どハマり出しました。

ハマった理由がありまして。

歌入りで聴く時の印象と、伴奏(ピアノ演奏のみ)だけの印象と

全然違うんですね。

最近、ユーミンの曲をピアノ演奏している人(自称ユーミン作品研究家・rufunifuさん)のYoutubeを聴いてまして、

それまで心に引っ掛からなかった曲に、初めてハマるみたい事が

今年は多い気がします。

『Rock’n Rouge』も作詞は松本隆で

作曲が呉田軽穂、という松田聖子の初期を彩った黄金コンビなのですが、

この「呉田軽穂」というのはユーミン(松任谷由実)の楽曲提供時の名前なのです。

という事で、

今日もユーミン作品研究家(rufunifuさん)のミックスリスト(関連動画)を何気なしに聴いていたら、

あれ?

なんか、めちゃくちゃ良い曲だな!と心に引っかかったのでございます。

他の曲では松本隆さんの詩も素晴らしいのですが、(「時間の国のアリス」など)

この曲に関していえば、

松田聖子さんが歌っている普通バージョンも聴いてみたところ、、、、

圧倒的に

ピアノ演奏のみのバージョン(=作曲)が素晴らしいんですね。

松田聖子感と歌詞が、、

まぁ、要らないとは言いませんが

言いませんが

言いませんが

言いませんが

まぁ、要らないですね。

メロディに3回のドラマ(起伏)がある(と思っている)、素晴らし過ぎる曲です。

2020年、残り3ヶ月、がんばれそうです。

下部にYoutubeを貼り付けておきますので

お時間ありましたら、ぜひ聴き比べてみてください。

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松田聖子『Rock’n Rouge』

https://youtu.be/XRalHZV3Gho

ピアノのみバージョン(演奏:rifunifuさん)

備忘録:俳句の今の所の楽しさ・面白さ

おはようございます。日本夢之助です。

さて、

俳句を始めて1ヶ月超となるのですが、

備忘録のとして

現段階の、何が楽しいか、どういうところが面白いのかを記しておきます。

毎日とは言わないにしても

空いた時間や

ふっと、情景が頭の中に浮かんだ時は

作るようにしています。

で、

そういう時に、浮かんだ情景の情報量をそのままに

俳句にして表現としてしまいがちで、

人に添削してもらうべく

作れば「どうでしょうか?」とLINEで送りまくっているのですが

安定感がありません。

ダメな時というのが、

俳句に載せた情報量が多すぎるときで

浮かんだイメージや言いたい事に対してこだわりがあり過ぎる時は

ダメですね。

そこから、かな〜り謙虚に削ぎ落とす時は、割とまとまるんですね。

そこらへんの、

自己抑制

が、結構面白くて、

いかに、自我が強過ぎるのか?という自己分析につながるのです。

以上。

Youtubeにおける著作権

おはようございます。日本夢之助です。

知り合いの女性が

すごく安室奈美恵のファンで、

Youtubeでも映像見ているらしいのだが、

「あれって、違法ですよね?」

と、アップロードにされている事が違法行為か否か、という質問を投げかけられた。

当たり前だが

違法である。

しかし、

市販のDVDなどでは出回らない映像や音源も

アーチストによってはある。

特に、わたしは松任谷由実のファンで

50年前の1970年代、荒井由実の時期のLIVE音源などを

貴重なコンテンツに接する僥倖に遭う事を思うと

ファンゴコロの対象である、松任谷由実さん自身にとってはたまったものではないだろうが、

そういった著作権の保護に対して

及び腰にならざるを得ないのである。

ダメなんですけど。

以上。

光秀、時代の流れ

おはようございます。日本夢之助です。

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」

観ているわけではないが、

Youtube

「本能寺の変」ないし「明智光秀」を扱った、誰かが載せている歴史番組をみて

少し感じた事を述べます。

保守 対 革新

という、ありきたりな構図で考えれば

明智光秀というのは保守である。

時代の流れというのは

信長が存命している時はまだ見えないのだが、

その、見えない時代の流れを断ち切ろうと

本能寺で信長を殺しても、

流れは止めることはできなかった。

光秀は山崎で秀吉と戦って負けるのだが、

負ける理由というのは

戦略・戦術(兵力etc)ではなく、

もっと根本的な、政略として既に負けているから、戦いに負けたのではあるまいか。

政略的に負けるといのは、

言い換えれば

時代の流れに合っていない、ということである。

時代は下って

幕末の戊辰戦争も

やはり兵力云々というより

時代の流れ、が大きいと感じます。

さて

11月1日には大阪にて

大阪市を廃止して特別区設置の可否を判断する

住民投票が執り行われるのだが、

ここにも

誰にも止められない時代の流れというものは、果たしてあるのだろうか?

時代の流れ、などとそんな大それたものなど

関係のない事なのかも知れないが、

しかし

大いに関係してくる事かも知れない。

そもそも、

「時代の流れというもの」自体を考えたときに

過去はすべて正解を選び、この先も全てを押し流していくのがもの

というわけでなくて、

間違いなのだが、そうなってしまったのだから、正解とせざるをえない

というのが積み重なったものが歴史なのかも知れない。

以上。