結構 ⇄ if

おはようございます。日本夢之助です。

「 if(もしも…)」の世界を考えることがあります。

例えば、

織田信長が本能寺で殺されてなければ…

例えば

坂本龍馬が暗殺されなければ…

今、日本という国が存在できてたのだろうか?

と考えるのです。

結構

という言葉が割と好きでして、

わたしは、

《物事は、結局のところ、収まるところに収まっていく》

というのが、この言葉に対して持っているニュアンスなのです。

今、日本という国が存在している事実は、ある種の「答え」だと言えます。

※存在してない仮定の話が「正しい答え」だったとしても、答えとしての【正統性と説得力】は、まず目の前にある事実の方に優先される。

日本史の教科書に書いてある様なことは

そうなる結果に収まっていく過程としては必然的な出来事だったのだろうと、感じるのですが、

そういう意味では、

何が起ころうとも

今の結果(状態)に至るための必然的条件っていうのは、

通史の中で語られている数ある歴史的事件の中でも、

どれが当てはまるのだろうか?というのにも関心がありまして、

仮に

江戸時代の統治形態とされている「封建制」が絶対的な必要条件だとすると、

織田信長がそのまま長生きして統治していても(=後の統治者が徳川家康でなくても)

日本という国には「封建制」が施かれていたかも知れない。

それが起こったから今があるのか?

それが起こらなくても今があるのか?

 

これについて想像を巡らすのが、わたしにとっての歴史の楽しさなのである。

以上。

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