今日もスーパーはすごい人でした。
今までそんなに利用しなかった若い子もよく目にします。
以前から
コンビニはほぼ利用せずに
スーパーの方を意識的に使っている方なんですが、
コロナ問題が本格化して以降
僕の目によく留まる光景がありまして
それは
品出し風景です。
商品がどんどん品出しされていくのを目にしますと、
その外界(スーパーの外)では
他の店(食料品以外を売ってるあらゆる店)とか全く消費されずに
閉まってたり、例え開いてても閑散としてたり
それこそ
繁華街の静けさに象徴されるような
元気のなさと、
スーパーでの
あの
白衣の品出し係の人が奥からカートを押して勢いよく出てきて
新鮮な惣菜や巻き寿司のパックが並べられていく
あの勢いが
同じ世界か?っていうほどにコントラストが強いんですね。
でも
地方から出てきた者として
都会には「モノで溢れ返っていう程、何でもある」様に見えますが
スーパーを利用する大勢の都会人を眺めていると
都会には実は「何もない」んだなと感じます。
何もないからこそ、地方で作られた農産物が都会に集まり、ただ消費されていくっていう。
そりゃ、都会でもモノは作られていますよ。
大阪でいえば、少し郊外に出れば工場があって煙とか出して何かが生み出されている訳だけど
でも、そんな郊外も
大阪の一番の都心部と比べたら地方に当たる訳で、
「あ、そうか…中心部ってのは何もないところなんだな」って思いますね。
それは
生産・消費という現代人の行為だけでなく
神羅万象・あらゆる物事の中心には
実は
何もないんじゃないのか?とも思えたりします。